小稲に三農があった

小稲に三農があったのは過去になった

                      

 三農同窓会長 佐々木敏雄


 先日、30代の女性市役所職員に「あなたは三本木高校の卒業生だそうですが、市民文化センターの時代ですか、元の三農跡地に移ってからの卒業生ですか」と尋ねると、「えっ!現在の三本木高校の地に三農があったんですか」と逆に尋ねられました。

 私は、三農が小稲にあったのはついこの間であり、十和田市民の誰もが当然知っていることだと思っていたので非常に驚きました。現在の高清水に移転したのは、つい最近のこととしか考えていなかったのです。

 そこでどのようになっているか調べてみました。今年の卒業生を入れて総卒業者数は19,961名、小稲での卒業者数は9,167名、高清水移転後の卒業者数は10,794名、とっくに

移転後の卒業者数が多く、54.1%にもなっている。それに小稲の卒業生は当然年配者が多いので、お亡くなりになっている先輩もあり、確認出来た方だけでも2,596名で、それを除いて計算すると生存者の67.1%が高清水の卒業生であるという計算になった。さらに高清水に移ってからどれ位経っているかというと、小稲最後の卒業は昭和42年3月で年齢は現在59歳であり、既に42年間も経っているのである。

 冒頭に紹介した例は無理からぬことと改めて再認識させられたのである。多分十和田市民も三農は高清水というのが普通になっているのであろう。

 創立百周年の頃、記念事業として「青森県農学発祥の地 青森県農学校跡地」というような碑を建立したらというアイディアも出たりしたが、三本木高校の敷地内であり、いわば他人の土地だからと立ち消えになったが、再考の必要性もあろうかと思ったりします。

(三本木高校は十和田市民文化センター前庭に建立してある。)

 現実として「歴史と伝統を誇る三農」というと矢張り小稲時代と考えるのは、どうやら古き先輩諸氏の郷愁に過ぎなくなったことを突きつけられた思いです。

2009年03月31日 | カテゴリー: 会報


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